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〜〜〜 小坂の大火 〜〜〜
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  平成2年度に小坂各戸に配布された氏子のしおりに掲載されている昔話『小坂の大火』です。

  小坂では1893年(明治26年)3月17日正午頃から3時頃までの間に小坂一円と下大池・中大池の一部、111戸を焼く大火事に見舞われました。
  その当時の様子が細かく描写されています。
  小坂のとある家の蚕室より出火。正式な出火原因は不明とのことです。
  この作品は小坂消防団で毎年行われている『火事祭り』の始まりについてや、小坂諏訪神社拝殿の建材が何で出来ているかなど、
  現在でも地域に繋がりのある多数の出来事が記されています。
  製作は、ある翁の昔話を基に祭青年が一部創作を加えて物語に仕上げたとのこと。

  平成24年度に宮司さんへ取材した際、この出来事について事実関係を確認したところ大部分は事実だそうです。
  もっとも、山口や日向常会は神社より標高が高い場所にあることや、火の拡がりにくい立地条件であることも念頭に置いておく必要がありそうです。

  また、当時切られたケヤキは現存する山形村指定天然記念物の大ケヤキ)よりはるかに大きかったとのこと。
  場所は現在の拝殿の後方(南西辺り)にあったそうですが、
  その後、平成8年度まで曳航していた舞殿の倉庫がその場所に建つなど(現在は取り壊されている)、
  残念ながら当時をうかがい知ることの出来る切り株等は存在しておりません。
  この作品をお読みいただき当時の様子を思い浮かべていただければ幸いです。

  それでは『小坂の大火』をお楽しみ下さい。

  八十二文化財団HPより


★★ 翁の昔話『小坂の大火』 ★★


   むかし、お宮の境内の木は、神社などを修理する以外に、お金などに替えて、神社の運営にあてることもありました。
  これは明治26年の小坂村のお話です。

   小坂のお宮では、神主さんや、宮総代の人たちがたくさん集まって、お宮の境内の木を切るおはらいをすることになりました。
  おはらいのお祭も終わり、あとはそのケヤキの木を切るだけになったとき、区長さんが、太く立派なケヤキをゆびさし
  「おはらいをしてもらったケヤキの木より、こっちのケヤキの木のほうが、こくすう(石数)上がるずらい」の一言で、
  他の宮総代さんたちも、「うーん、そうだ、こっち切っちまうか。」という話になり、おはらいをしていないケヤキの木を切ることに決めてしまったのです。
  しかし、神主さんは他のお祭りに出かけてしまっていたので、改めておはらいをすることはできません。
  そこで、山口・日向からの宮総代さんは、「おはらいもしてねえ、木い切りゃあばちあたるで、そんなこた、ぜってえいけねだ!」といくら言っても、
  みんなに聞き入れてもらえず、怒ってかえってしまいました。
  そうなると、残されたみんなも意地をはって「あんなもんかまうこたあねえ」ということで、おおきなケヤキの木のほうを切り出しました。

   そして、両側からのこぎりをいれ、もうケヤキの木も倒れる頃だろうというくらいまで切っても、そのケヤキはびくともしません。
  押しても引っ張っても倒れないので「上の方で引っかかってるかもしれんずら」ということで、二人ほど登ってみることにしました。
  二・三間ほど登った頃でしょうか、いままでまったく倒れそうもなかったケヤキが突然、「どさーん!!」と、倒れました。
  登った二人は、その木のしたじきになり、みんなが、やっとのことで大きなケヤキをどけたころには、一人はすでに息をひきとっていました。
  みんなは、神様のお怒りに触れたということで、そのたたりを恐れました。

   それからしばらくたった、3月17日のことです。
  その区長さんの家では、ちょうど普請をしている最中でしたが、お大工さんがお昼を食べに出ている間に、かんな屑が焚火に燃え移り、
  お大工さんがもどったときには、大火事になってしまいました。
  「ひゃーーえれえこった!火事だ!火事だ!」大騒ぎになりました。
  しかし、すでに手がつけられなくなっており、見ているより仕方ありません。
  その日は、今でいう台風のような大風でした。
  強い南風にあおられた火は、なん百メートルも飛んで、お寺の本堂に燃え移ったのです。
  お昼ご飯を食べていた和尚さんもびっくり、本堂の中で、火はめらめらと勢いをつけながら燃えています。
  しかし、本堂の分厚いかやぶき屋根、太い柱は、なかなか外に火を吹き出しません。
  半とき程もえたでしょうか、火は本堂の中でいよいよ勢いを増し、
  突然、つむじかぜに乗って「ぶわーー!」と火ばしらのごとく空にまい上がり、大きな大きな火の塊が四方に飛び散りました。
  その火は、お寺のまわりの上北沖、堂村、清水まで飛び、方々で火の手をあげました。

   「今日は火事だし、風が強いから気を付けて帰りなさいよ!」と先生に言われ、子供たちは小坂学校を出ました。
  しかし、その日の風はものすごく、しんやの竹藪が強風でなぎ倒され、いつもなら見えないはずの日向村が見えるほどでした。

   火の手は、そこらじゅうで勢いを増し、北へ北へと燃え広がります。お宮のすぐ側にも火は近づいて来ました。
  あわてた神主さんは、お宮に火が移ったらすぐ飛び出せるように、御神体をひととこにまとめながら、
  火を鎮められるように、神様の怒りを鎮められるようにと御祈祷をしています。

   南からの火は、いよいよお宮にちかづいてきました。
  上北沖から堂村はすでに火の海です。
  神主さんも半ばあきらめ最後の悲痛なまでの御祈祷を捧げていたとき、おりしもの突風にあおられた火は、
  四方に壁がなく、柱だけの神楽殿を「ぐおーー!」と一気に駆け抜け、当時お宮の北側にあった家に燃え移り、
  再び勢力をまして、とおくは八幡様、下大池の方まで燃え広がりました。
  小坂のお宮は、わらぶき屋根の神楽殿にも火はつかず、燃えませんでした。
  お宮を護っていた男たちはひと安心です。

   男たちは、手桶と柄杓を持って屋根に登り、飛んでくる火の塊に水をかけています。
  強い風のために火の粉ではなく、燃えている塊が飛んでくるのです。
  焼け出された人たちは、病人やけが人を背負ってまだ焼けていない人の家に集まってきます。
  「お願いしまーす!」病人を置くと、また走って火を消しに飛び出します。
  焼けていない人の家は、お年寄りでいっぱいです。
  でも誰が誰だかわかりません。
  見たこともありません。
  みんな寝たきりで、外に出れない人たちだったからです。

   女衆は、長持ちに衣類布団をつめて、家の外に出します。
  するとどうでしょう。
  強風の中をごろごろ転がって、火がついて燃えてしまいました。
  こんな風ははじめてです。
  もうどうしようもありません。

   親戚の家が燃えてしまうかもしれません、「火が近づいたら、一番に手伝いにいくぞ!」家の屋根に登って男が監視しています。
  するとどうでしょう、自分の足元が燃えているではありませんか。
  風に乗って、火はどこからともなく飛んでくるのです。

   下大池の人たちも、小坂の火事を手伝いにきてくれました。
  しかし火のまわりが早すぎます。
  小坂の火を消しているうちに、下大池の自分の家が燃えてしまったのです。
  火が、下大池の前田さんの家を焼いた頃、突然、風がかわりました。
  北へむかって吹いていた風は、急に東へと吹き始めたのです。
  火事は田んぼを飛び越えて、みるみる広がって、殿村があっという間に燃えてしまいました。
  そして火は、畑の方へと去って行きました。

   風はやみました。
  火もようやく消えました。
  まわりは焼け跡だらけ、今朝まであった家もありません。
  さむいさむい夜をすごしました。

   火事にならなかったのは、おはらいをしていない木を切るのに反対した日向から上の家だけです。
  おはらいもせずにケヤキの木を切ってしまったので、神様がお怒りになり、火をつけて、風を吹かせたのかもしれません。
  そのケヤキの木を切るときに、総代さんの中でただ一人反対した日向・大日や山口の家は焼けなかったのですから。
  焼け出され、住むところも、夜寝るところもなくなってしまった人々は怒りました。
  おはらいもしない境内木を切ってしまったために、神様のたたりがおきたのだと、区長さんや、総代さんたちを責めました。

   小坂村のみんなが悲しみにくれ、心のすさんだときでした。
  区長さんは、とても責任を感じて、村を後にしました。

   そんな頃、神様にお詫びをするお祭りが始まったのです。
  神様にお詫びをすると共に、ともすれば、焼け出されたのは区長さんや宮総代さんが悪いと言い出しそうな、自分たちの気をしずめたのです。
  ふだんは、あわのご飯を食べていたその時代に、そのお祭りの日だけは、お赤飯を炊いて、お酒を飲んで、こころなごやかになるように、
  焼けた日の焼けた時間にお宮に集まり、神様にお詫びをしたのが、火事祭りの始まりということです。
  そして、そこから小坂の復興が始まったのです。

   切ってしまったケヤキは、売ることもできずに長い間そのままになっていましたが、
  「このケヤキの木だけは、ほかのものにゃ使えねーずら?」ということで、明治32年にそのケヤキの木で、今のお宮の拝殿をつくりました。
  今のお宮は、そのときおはらいもしないで切ってしまったケヤキの木でできているのです。

   災害をにくんでも、人をにくまないように、小坂のみんながこころなごやかにすごせますようにと、
  大火をおこした反省を忘れないために、現在もなお3月17日には、火事祭りが行われています。
  平成5年には、ちょうど100度目のお祭りとなります。



   これは、ある翁の昔話をもとにして、お祭り青年で一部創作した物語です。
  みなさんのまわりにいる、おじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃんもいろんな昔のお話をしっていますので、
  おじいちゃんのそのまたおじいちゃんなんかのお話も聞くことができるかもしれません。
  おもしろいお話があったら、お祭り青年にも教えて下さい。



★★ 昔話 ★★

     



 ◆掲載資料◆
 平成2年度 氏子のしおりより、翁の昔話『小坂の大火』
 平成3年度 氏子のしおりより、創作民話『雨乞いと唐猫』
 平成4年度 氏子のしおりより、『国譲りの神話』
 平成6年度 氏子のしおりより、神々の話『大国主命と因幡の白うさぎ』





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