丸に諏訪梶 信州山形村 小坂諏訪神社祭青年会 丸に諏訪梶

メニュー

         

         



〜〜〜 雨乞いと唐猫 〜〜〜
 サイトマップ
←前のページに戻る←

  平成3年度に小坂各戸に配布された「氏子のしおり」に掲載されている創作民話『雨乞いと唐猫』です。

  山形村もかつては水不足に悩んでいました。
  現在でも唐沢と奈良井川から生活用水を曳いているように、水資源にあまり恵まれていない地域であり、
  灌漑設備の整っていなかった昔は水の確保に苦労していたようです。
  昭和の時代まで実際に小坂で行われていたと伝わる一風変わった雨乞いに創作を加えたお話しです。

  それでは『雨乞いと唐猫』をお楽しみ下さい。


★★ 創作民話『雨乞いと唐猫』 ★★


   このお話しは、現在のようにダムがあり、水道があり、灌漑用の設備などできる前のずっと昔のある村のお話です。



   ある年の夏、その年はいくら雨乞いをしても雨がなく、生活の基盤を農業によって築いているその村の人々は、
  水不足による農作物の被害に困りはてておりました。
  今までも水不足に困り、雨乞いをしていた年はありましたが、今年のような水不足の年は初めてです。
  そこで、上流にある田んぼや畑ばかりに水が入らないよう、みんなは決まりごとを作りました。
  それでも水は不足しているので作物は次第に水気を失って田んぼは干上がり、
  やがて一部、心ない人たちは夜中に自分の田畑へ水を引き入れる水どろぼうなどを行い
  そんなことから村のあちこちでは水争いによるけんかが起こりはじめました。
  誰もが自分の田畑の作物が枯れていくのを見ていられず、われ先にと水を求め、けんかはしだいに大きくなっていきました。
  みんなが疑心暗鬼になり、村の中の人々の心は殺伐としていきました。

   やがて水争いによるけんかはおさまりました。
  川に流れる水が全くなくなってしまったからです。
  このままではみんな飢死してしまいます。
  やがてどうすることもできない村人から、すがるような思いでもう一度雨乞いをして神様におねがいしよう、ということになりました。

   ふたたび「二夜三日」にわたる雨乞いのお祭りが始まりました。
  人々は一生懸命神様にお祈りしました。
  やがて「二夜三日」の三日目のお祭りになり、人々は依然として晴れ上がる空をうらめしそうに見上げ、誰かれともなく言い出しました。
  「神様、なぜ雨を降らしてくれないんですか!」
  「俺たちこのままじゃ飢え死にしちまうよ!」
  人々の怒りは神様に向けられ、みんなは神様をせめました。
  神主もみんなの気持ちがわかるので、何も言えず一心にお祈りをあげています。

   やがて一人の若者が
  「やっぱり神様なんていねえんだ。これだけお祈りしても雨降ってこねえんじゃ雨乞いなんかしたって無駄だよ」
  そう言い残して列をはなれて行こうとしました。
  それを聞いた二・三人の若者も顔を見合わせ、列をはなれて行こうとし、残った人たちもざわめき始めました。
  神主はせっかく雨乞いによって一つにまとまったみんなの心がばらばらになることを恐れ、
  みんなの希望をつなぎ止めるため、一つの案を思いつきました。
   「おまちなされ!」
  帰りかけていた若者たちも足を止めました。
  「まだ神様には、私たちの痛みは伝わってはいないようで、雨の降る気配はありません。
  神様に私たちの痛みをわかっていただくため、本殿の守り神である唐猫様を少々こらしめることを提案するがいかがなものであろうか・・・」
  神主にそう言われ、皆はしばらく談議したあと、まとめ役の初老の総代が答えました。
  「神主様がそうおっしゃるなら、わしらはそのとおりにいたします。」
  そしてふたたび談議のあと、こらしめのための唐猫様は権現様の泉へ沈められることになりました。
  皆が談議をしているとき、神主は二体の唐猫に向かってそっとおっしゃいました。
  「すまんがしばらく辛いめに遭わせるかしれん・・・決して唐猫様が悪い訳ではないが、皆の気持ちをまとめるために我慢していただけませんか・・・」
  やがて、一人が家からもっこを持ってきて、皆でもっこをきれいに飾り付け、出発の準備はととのいました。

   唐猫は、おはらいを受けたあと、そっともっこに乗せられて、神主を先頭に唐猫様を乗せた行列が権現様へと続きました。
  人々は心のなかで「唐猫様許してくだせえ・・・」そうつぶやいていました。
  みんなこんな事はしたくありませんが、雨が降らなくては食べて行くこともできません。
  つらいのは皆おなじです。
  権現様の泉へつくとせめて息だけはできるように、皆で泉の中に石を積んだ台座が作られました。
  そして唐猫様は、泉の中から首だけ出して空を見上げるようなかっこうで、二体並べて水の中へ入れられました。
  そして人々は、唐猫様にお願いをしました。
  「唐猫様、そこから出たかったらお願いですから雨を降らして下さい。」
  「俺たちはもう雨が降るまで、そこから出してやることはできません。」
  皆、なんとか雨を降らして欲しいという気持ちを伝えたくて懸命に祈りを捧げました。

   そして次の日、今までずっと晴れわたっていた空に灰色の雲がかかり始めました。
  やがてその雲は、空一面に広がったかと思うと、大粒の雨が降りだしました。
  今までひび割れていた田んぼにも水がはり、しおれかかっていた作物も生気を取りもどしました。
  村は救われるでしょう。
  人々は歓喜しました。
  唐猫様が自分たちの祈りや苦しみを、神様へ伝えて下さったと思えたのです。
  すぐ皆は、神社へとんで行き、神主と唐猫様をお迎えにいきました。
  神主も喜んで、皆と権現様まで行き唐猫様にお礼を申し上げて。ふたたび神社へかえってきていただきました。
  それ以来その村では、どうにも雨が降らず困ったときは、最後の手段として唐猫様に権現様の泉へ入っていただいたということです。

   本殿の中にいる唐猫様は、人々と神様との関係が危うくなるところを、いく度となくつなぎ止めている守り神ということです。   (終)




   小坂諏訪神社では、雨乞いのお祭りは昭和三十年頃まで実際に行われていました。
  雨乞いのときには、大池の諏訪神社や竹田の建部神社でも、同時に雨乞いのお祭りを行ったようです。
  それでも雨の降らない場合は、鉢盛山で雨乞い祭りを行ったり、
  戸隠まで出かけて行き<雨をよぶ呼び水>のようなものを持ち帰ったとのことです。

   灌漑用水などの整う以前では、それほど珍しくなかった雨乞いですが、
  唐猫を泉につけて「雨を降らしてくれるまで出してあげませんよ」というお祭りをしているのは小坂諏訪神社だけです。
  いろんな方面から、この雨乞いの祭りについて調べてみたのですが、
  いつ始まったのか、なぜ唐猫を泉に入れるのかなど、そのいわれについては知ることができませんでした。
  唐猫様を入れる泉は、権現様の御手洗と言われている泉であることや、雨乞いのときに毎度毎度泉に入れるのではなく、
  最後の最後に行うことなどから、おそらくこんな事からこの祭が始まったのではないかと創作してみました。

   皆さまはどうお感じになられたでしょうか。




  二夜三日(にやさんにち)
   この地方に伝わる雨乞いの儀式で、二夜三日に亘って五回雨乞いのお祭りをする。



★★ 昔話 ★★

     



 ◆掲載資料◆
 平成2年度 氏子のしおりより、翁の昔話『小坂の大火』
 平成3年度 氏子のしおりより、創作民話『雨乞いと唐猫』
 平成4年度 氏子のしおりより、『国譲りの神話』
 平成6年度 氏子のしおりより、神々の話『大国主命と因幡の白うさぎ』





★トップページに戻る★  ←前のページに戻る←  ↑このページの上へ戻る↑